自分らしく生きる緩和ケア

2021年09月27日

「自分らしく生きる緩和ケア」

 

わかくさ老人訪問看護ステーション小阪サテライト 緩和ケア認定看護師 北野 典子

 

  2007年にがん対策推進基本計画が施策として打ち出され、医療の発展とともに緩和ケア普及啓発も進んできました。月日が流れ、「終末期」から「人生の最終段階」へと時代に沿った名称や捉え方へと変化してきています。

緩和ケアは早期から病気の進行度に関係なくその人の苦痛を和らげることです

  私がホスピス病棟で働いていた約15年前。当時、開設当初ということもあり「あそこに行ったら、もう終わりらしい。」「何するところがわからん建物やけど、悪くなったら行くところらしい」といった周囲の反応でした。医療者の娘をもつ私の父も、私がわけのわからない「ホ」のつくところで働いているという認識でした。

 そんなある日、母がすい臓がんの末期。予後3か月と診断されました。家族で話し合う中で、父は真っ先に「絶対、お母さんには病名を伝えないでやってほしい。つらいやろう。かわいそうや。」と涙しながら病名告知を反対しました。その時、緩和ケアの説明をし、母のやりたいことや思いを家族で支えていこうと話し合いました。病名告知をした後、母は「絶対に生きてやる。病気に負けない。」と強く前向きに過ごしていました。母らしく趣味も主婦もこなし通院もしながら、当時妊娠中だった私の里帰り出産も母が希望しました。1年半の闘病の末、趣味の日本舞踊の最中に倒れ、着物を着たまま秋の夜に旅立ちました。突然の別れとなりましたが、何とか初孫も抱くことができました。父は家族がいつもの自然体でいることがお母さんらしく生きれると思うと話し、私もそのことが母にとっての最大の緩和ケアであると感じました。

 

2014年に日本緩和医療学会は市民にむけ

『重い病気を抱える患者やその家族1人1人の身体や心などのさまざまなつらさをやわらげ、より豊かな人生を送ることができるように支えていくケア』

と説明されています。

 

  私が日々出会う在宅療養者さんやご家族の中には、まだまだ「緩和ケア=(イコール)死」のイメージが強いように感じています。しかし、どんな病気や状況であっても、自分が安らぐ場所で心身のつらさがやわらぎ笑顔になること、その笑顔を見て家族も笑顔になることは、その人に関わるすべての人が互いに緩和ケアをしあって過ごしているのです。

コロナ禍で医療情勢が変化する現代、自分らしく生きるための過ごし方を考えてみませんか。私は笑顔の種と時にユーモアもお届けできる訪問看護師としてこれからも邁進していきます。写真は今年、父が聖火ランナーに選んで頂き、力走していました。これからも家族として一人で暮らす父を応援したいと思います。もう1枚は私の笑顔の種です。未来あるこれからの人生を応援しつつ、母としてがんばりたいと思います。

 

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